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源 為朝公 上陸の碑 [沖縄]

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「運天港園地」 またもや国定公園。

先ほどの案内板の 「百按司墓(むむじゃなばか)」 に加えて

「源 為朝公 上陸の碑」 もありました。

「みなもとの よりとも かぁ」 と言うと、 母Sunnyが、

「ためとも でしょう! Peeweeちゃんバカねぇ よく読みなさい!」と。

バカはよけいだよ!!

車を降りると かなり高い位置に自分達がいる事がわかりました。

私の頭の中にある地図で考えると  「源 為朝公 上陸の碑」は、もっと下の道にあり、

そこからちょこっと階段を上った辺りにあるのかと思っていたので なぜここに

たどり着いたか こわけがわからず混乱と興奮でした。

(後で地図を見ても なんだか納得いかず、把握できず。。 頭の中に

あった地図から軌道修正できないのかも)

 

まず目の前には すんごい階段。 のん隊長がまた タタタッと駆け上っていきました。

すごく静かでちょっと怖いので、「携帯すぐつながるよう持っててよー」と叫ぶと

軽く手を上げて あっという間に見えなくなりました。

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階段と反対側を向くと、

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「源 為朝公 上陸の碑」 と、あります。 これは Sunnyが ずんずん行ってしまう。

一人残され 迷っていると すぐに 「もう着いちゃった!」 と聞こえ、 Sunnyの後を追うことに。

最初の7mぐらいだけ道が悪いだけで後はまぁまぁ。 少し上って振り返ってみました。↓

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「あ、着いた。。。」

本当にあっという間でした。 そこへ のん隊長から電話。 展望台があるみたいだけど

一人だと怖いから戻るとの事。

 

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「国頭郡教育部會発起」

 

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「源 為朝 上陸の碑」  「元帥伯爵 東郷 平八郎 書」

なぜここで 東郷?

 

そして 裏側

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「大正 十一年 五月建立」(1922年) 「沖縄史蹟保存會」

 

「源 為朝」とは、ものすごーくザザっと言うと、

平安時代(794-1185) 末期の武将。

暴れ者で伊豆大島へ流されるが そこでも暴れて自害した。

と、言われたが、実はこっそり脱出。

運を天にまかせたどり着いたのが 沖縄の今帰仁村の運天(うんてん)。

 

妻も子もでき、やっぱり本土にか~えろう と思い南下したが

なんと妻子をおいて自分だけ帰っちゃった。 妻子はその港で

ずーっと待っていたので そこの地名が現在の 浦添市(うらそえ)の 

牧港(まきみなと) (待ち港から出来た地名とかなんとか)

 

そして驚愕なのは、

その時の子が、初代琉球王の舜天(しゅんてん)になった!

との伝説ありです。

ほんとなの? 琉球史とちょっと違うような。。。 ま、ま、伝説だからね。 って感じです。

 

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続く。。。


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PEEWEE

tochiさん、いつも来て下さってありがとうございます!
by PEEWEE (2013-07-05 18:55) 

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